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生きやすさを、ととのえよう。
2024.08.25

これからのこと。ー私が経験した能登半島地震ー

これまで、能登半島地震の発災当日から、最初の数ヶ月間ことを振り返ってきました。

元旦の発災当初、現場は相当混乱をしていたように感じます。

高齢化・過疎化が進む半島で、色々なものが思ったように進まないもどかしさがありました。

私自身が七尾市に応援に入るようになったのは、1月中旬から約2か月ほど。

この間、国、県、市町の動きをつぶさに追い、災害対応の全体像を把握するよう努めました。

多くの被災者の方が、政治の力を必要としている。そのことを、これまでの経験のなかでも、最も強く感じることになりました。

ボランティアにも参加しました。

自宅の片付け一つとっても、かなりの労力とエネルギーが必要になります。一人の力では到底足りません。

長い時間が必要だということ。だからこそ、多くの人の力が必要だということ。それらを肌で感じました。

時間は進んでいきます。

それに伴い、どうしても関心が薄れていってしまう部分はあるのかもしれません。

ですが、被災地の復旧と復興は、まだまだこれからなのが現状です。

少なくとも、私が石川で暮らし、日常の中で出会う皆さんからは、「これでもう大丈夫だ」という声はほとんど聞かれません。

「自宅は解体するのか。再建できるのか。そもそも、それはいつになるのか」

「仮設住宅に入るか、みなし仮設にとどまるか。」

「能登に残るのか。引っ越すのか。仕事はどうするか。」「家族は、子どもはどうなるか。」

「このまま、能登に住み続けていいのだろうか」

震災から半年以上が経過をしましたが、こうした問題に、簡単に答えを出せるわけではありません。

仮設住宅への入居などは、色々なケースがありますが、おおかた期間が2年程度に設定をされています。

行政側も「2年で追い出すようなことはしない」と説明していますが、すでに半年が経過する中で、2年間などあっという間なのだということを痛感しています。

公費解体は、来年2025年の10月ごろが完了目処だと言われています。

自宅の解体に発災から1年半以上かかるのに、そこから再建をして、仮設住宅を出るのが2年以内などというのは、全くもって現実的ではないでしょう。

ですが、被災者の皆さんは、そういう時間軸の中で、選択を迫られるわけです。

日常を失ってすぐ、そこから次の人生の選択を迫られる。

その苦しさ、やるせなさ、不安は、察するにあまりあります。

その全てを理解すること。同じ境遇を経験することは難しいかもしれません。

ですが、それでも理解しようとすること。苦しいときに、支えになることはできるはずです。

最終的には、みんなで支え合うしかありません。

そのとき、最も大きな力を発揮することができるのは、私は「政治」だと思います。

どれだけ政治不信が広がっても、どれだけ機能不全を起こしていても、

最終的に最も多くの人の力を結集することができるのは「政治」しかありません。

党派を超えて、ルールに則って、被災をした皆さんに寄り添うことが政治の役割だと確信しています。

私自身、一人でできることは限られていますが、その一つ一つの積み重ねが物事を動かす力になります。

被災した皆さんの声を聞いて、求められる役割を果たせるように力を尽くします。

この振り返りは、あくまでも、一つの記録です。

何かが終わったわけでも、区切りがついたわけでもありません。

むしろ、これから続いていく復旧・復興の取り組みには、より長く、難しい課題があるでしょう。

そうした意味でも、今回の振り返りを心に刻んで、能登のため、生まれ育った石川のために、仕事をしていきたいと思います。

県の復興計画は、9カ年計画です。長い道のりになります。

一日も早く日常を取り戻す。将来の豊かな能登をつくっていく。

大切なことは、能登で暮らしてきた皆さんの思いに寄り添うことだと思います。

そのことだけは、どれだけ時間が経っても、忘れない、変わらないようにしたいです。

その思いを改めて確認して、この振り返りを終えたいと思います。

能登半島地震からの復旧・復興へ。
党派をこえて力を尽くします。