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生きやすさを、ととのえよう。
2024.08.22

七尾市にて。ー私が経験した能登半島自身ー

1月15日ごろから、私自身は連日、七尾市のこんどう事務所に通うことになりました。

金沢市内からは、のと里山海道を使っての移動になります。1時間半ほどの道のりです。

七尾市までは、比較的スムーズに向かうことでできましたが、でこぼこ道の道路は震災の爪痕を感じさせました。

こんどう事務所には、私のほかに、党本部の職員さんも応援に入りました。

近藤代議士本人は、休む間もなく、被災地を回らなければいけません。そのなかで、色々な要望や問い合わせを受けることもあります。

そうした場合に、事務所として対応ができるような体制を整えることが一つの目的でした。

他にも、支援物資に関する問い合わせや、視察に関する話もあります。色々な業務をお手伝いさせていただきました。

忘れないうちに書いておくと、七尾市も広い範囲が断水をしていて、私が事務所にいる間も、水道はほとんど不通の状況が続きました。

家屋の倒壊も、エリアによっては相当被害が激しい場所もあり、大きな揺れに襲われたことが分かりました。

私は金沢から通っていたので自宅に戻れば水が使えましたが、それでもこんなに不便なのかと思いました。被災地にお住まいの皆さんは、どれほど不便だったか。

隣の中能登町まではなんとか通水したようで、トイレなどは中能登町まで15分ほどかけて移動をしていました。

昼食なども、飲食店は当然ほとんど営業できていません。

早い段階で、いくつか全国的なチェーン店が制限がありつつも営業を再開。驚きと同時に、そのありがたみを感じました。

コンビニなども制限はありつつも営業はされていました。

スーパーなどはなかなか難しいようで、地元の飲食店等も営業できているところは少なかったです。

のと里山海道については、次第に交通規制が強化をされるようになりました。

奥能登方面で交通渋滞が起こるため、羽咋市付近で検問が行われます。

これによって、七尾行きの場合にも、時間帯によっては渋滞が起こるようになりました。

夜の帰り道も、やはり奥能登方面からの車が多く、かなりの交通量に。

雪が降って通行止めになるようなケースもあり、帰り道でかなりの回り道をしたこともありました。

大動脈としての「のと里山海道」、それ以外にも、地域をつなぐ道路の重要性を強く感じました。

具体的な仕事を、いくつか挙げておきたいと思います。

一つは、避難所の情報収集です。

近藤代議士が各避難所を回って話を聞けるように、避難所リストの作成に取り組みました。

市町が用意している指定避難所のほか、地区会館などの自主避難所、農業用ハウスなどで避難されている方も多数おられました。

各市町のHPやニュースメディアの情報を参考にしますが、状況はどんどん変化していくため、すべての避難所を把握するのは相当大変でした。

こちらは主に党本部の職員さんに担当をしてもらいましたが、連日、行政のHPや新聞記事を確認しながら情報を更新していく作業は、相当骨がおれたと思います。

県も避難所情報を一元化して集約するという話でしたが、実際にどれくらい集約をして、開設状況や避難者数を把握できていたかは正直分かりません。

特に、支援に出向く自衛隊と、各市町、専門ボランティアの情報を、自主的な避難所まで含めてリンクさせておくということは、避難者への支援という意味でも大切だと思いました。

私は、石川県の災害対策本部会議を第1回から全て見直し、県の災害対応を把握することに努めました。

HPなどにも目を通し、災害時における支援制度などを頭に入れながら、どういった支援が可能かを答えられるようにしていました。

災害救助法の適用に伴って受けられる支援の中身。

一次避難から二次避難、仮設住宅への入居の流れ。

罹災証明書の取得方法と、受けられる支援の全体像。

被災者生活再建支援法や、住宅の緊急応急修理、応急修理。なりわい再建支援の仕組み。

断絶された水道復旧時期の目安。ボランティアの受入について。

いくつも印象的な問い合わせがあり、制度の狭間にあるような課題が多数ありました。

こうしたことは、国・県・市町、それぞれの場で取り組んでいく必要があります。

国の役割は大きいわけですが、一方で、かなりの部分が県や市町の課題であることも感じました。

いくつか印象的だったケースを紹介します。

罹災証明の基準はどうなっているんだという問い合わせ。

住宅の被災程度によって、解体するにせよ、改修するにせよ、再建するにせよ、受けられる支援の中身は変わります。

被災者のみなさんにとって、罹災の程度は極めて大きいわけです。

津波の場合はどういった基準で判断をするのか。

一回目の判定は自宅の外側しか見てくれなかったが、本当にそれで罹災の程度がわかるのか。

こうしたことに一つ一つ答えていくということをしました。

行政に聞けばわかる部分もあるのでしょうが、被災者の皆さんは不安でいっぱいです。

私たちができる範囲で、答えられるものには、小さな質問でも答えるようにしていました。

こんどう事務所のみなさんが、日頃から細かく仕事をされていることを実感しました。

環境省が出している罹災判定の基準をもとに、私の方で全体像を把握しました。

水道の復旧目安。各地域によって、水道の復旧にかなり時間がかかるということが言われました。

基本的には、それぞれの市町が対応にあたります。HPなどで、目処を公開しているところもありました。七尾市などは、町ごとに復旧時期の目安を出していました。

こうした情報を踏まえて、県としても、水道復旧の目安を示します。

私達も、問い合わせがあれば、その地域はいつ頃の予定です、という話をお伝えしていました。

一方で、復旧にかなり時間がかかるということに、被災者の皆さんから叫びにも似た要望が寄せられるようになりました。

例えば七尾市。水道の復旧は4月以降になるという発表。

3ヶ月以上も水が使えないというのは、かなり厳しいです。もっと早くできないのかという要望が多かったです。

現場が最善を尽くしていることは分かります。それでも、水が使えないというのは大きな負担だと痛感をしました。

最終的に、国とのやりとりのなかで、七尾市の水道復旧は3月末の年度内を目指すという総理からの答弁を引き出すことになりました。

これはまた後ほど出てくるかもしれませんが、国会だからこそできる仕事だったと思います。

より長期的な視点でいえば、過疎地域である能登半島で、どういった形で水道などの生活インフラを維持・更新していくかというのは、日本全国に共通する大きな課題であると感じます。

それは金沢市でも例外ではありません。

今一度、水道設備のあり方を考えていくことが大切だと考えます。

概して、この間の七尾入りで、災害時の法制度などについては理解が深まりました。

実際の行政や政治の動きも、いろいろな形で吸収することができました。

そういう意味では、政治の現場で働く一人として、大きな経験になったと思います。

ここでは書ききれないほど、多くの学びがありました。

その根底には、被災地の皆さんから必要とされている。しかも、それが政治と密接につながっているという実感があったからだと思います。

私自身は、やはり、政治を通じて、誰かのために仕事がしたいとの思いを強くしました。

もう少し、七尾での話は書きたいことがあるので、次に移りたいと思います。